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ウォーターネットワーク代表・柴崎によるコラム
〔2002年7月〜2002年12月〕

コラムについてご意見やご感想がございましたら、是非、柴崎宛にメールをお送りください。

2002/12/31:地球に暮らすリアリティ

あなたはどんな時に地球に暮らすリアリティを感じますか?

テレビには毎日世界で起こっている様々な出来事が映しだされ、インターネットを通じていつでもどこでも世界の情報を瞬時に取り出すことができる。情報・物流・人の移動、どれを取っても地球の距離感は短くなっている。

それによって、果たして我々は地球に暮らすリアリティをどれだけ強めているのだろうか。

他の国のことを知り、考え方の違いを知る。それによって更に自らを知る。理解と協調が生まれてもいいはずである。

しかし現実はどうであろうか。テロや戦争もどこか遠い世界で起こっているものではなく、貧困と飢えもテレビの中だけでの出来事ではない。地球の現実そのものだ。

地球のどこに住んでいても同じ太陽と月を見ている。水は地球を大きく循環し、自分が使った水もやがて地球の裏側の人が使うことになる。大陸は海で分たれているが、大地はつながっている。

そんな地球に暮らすリアリティを強く持つことができれば、テロや戦争なんて馬鹿らしくてやっていられないのではないかと思う。我々は地球という一つの体の一部にすぎない。他を傷つけることは自分を傷つけることと何ら変わりないのだ。

2003年は地球に暮らすリアリティを訴えることのできる新たなプロジェクトもスタートさせたいと考えております。「こんな時に地球に暮らしているのを実感します」という皆様からのメッセージがございましたら、是非お寄せ下さい。

本年も大変お世話になりありがとうございました。

【追記】

オランダ・ロッテルダムに住む日本人アーティスト、上田麻希さんの取り組む「Hole in the Earth」プロジェクトは地球に住むリアリティを感じることのできる素晴らしいインスタレーション作品だ。

「Hole in the Earth」は地球上の反対側に位置する2ヶ所の地点にあたかも地球の中を貫通しているかのような擬似的な穴をつくる。この穴を覗くとインターネットを通じて画像と音声をリアルタイムに交換でき、地球の裏側にいる人々と対話をすることができる。

2001年6月に試作展示として港町と姉妹都市という関係からロッテルダムと上海が「穴」でつながれ、現在、オランダとインドネシアを1年間の常設でつなぐ計画が準備されている。

「地球大の意識」を描きたいという思いがこの作品には込められていて、言葉や文化を越えて「地球の向こう側の誰か」へのイマジネーションを共有することが目的だそうです。上田さんのこのプロジェクトにもご注目下さい。

上田麻希さんのサイト http://home.wanadoo.nl/makiueda
(ウォーターネットワークの「リンク集>アート分野」にも掲示させていただいています)
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2002/12/08:世界の水を奪う日本の現実

世界の人口が62億人を突破したそうだ(※注1)。

世界の人口が爆発的に増加しているという実感はなかなかわかないが、2025年には80億人に達すると言われている。21世紀は「水危機の世紀」と言われるが、地球の水はどれ程の人類の生存を可能にするのだろうか。

既に現在、約10億人が水不足の地域で暮らしていて、年間約400万人の子供の命が汚れた水が原因で失われている。2025年までには40億人が水の不足する国に住むとも予測するデータもある。

さて、日本の現在の人口は2億2,762万人。食料の自給率が40%を切る日本では、輸入する主な農産物(※注2)を生産するために必要な水の量は438.6m³で、日本人の平均的な生活用水で換算して約3.7億人分、途上国の平均で換算すると約12億分に相当するという。日本はこれだけの水を海外から奪っていると言えるのだ。

スローフードが注目され食のあり方が見直され始めているが、食料を身近な地域で生産し、その地域内で消費することは世界の水を守ることにつながる。毎日の食事と水の関係をもう一度考えてみたい。

※注1:国連人口基金(UNFPA)が2002年12月2日に公表した2002年版「世界人口白書」によると、世界人口が62億1,110万人に達した。日本の2002年11月1日人口推計は2億2,762万人(総務省統計局統計センター)。
※注2:主な農産物とは肉類、綿製品、豆類、麦類、米で、この他に輸入されている工業製品、木材なども大量の水を使って作られたものが多い。
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2002/10/26:松江・宍道湖の音風景

25日の神秘的な夕陽

25日の夕陽は最高だった。

下見と打ち合わせでこれまで2回来ていたが、いずれの時も天気が悪く、これが「宍道湖の夕陽!」という感じではなかった。雲がかかってその雲間から太陽の光が射し込んでいる風景が出雲らしい風景とも聞いていたが、この日は雲一つない最高の天気。

夕陽は、コンサートのために設置した野外舞台の真後ろ、宍道湖、そして、その向うに位置する出雲大社の一直線上に沈んでゆく。太陽が宍道湖の水面に近づくと、その輝きは月のようなやさしい表情となり淡い神秘的なオレンジ色に変った。その姿は今までに見たことのない不思議な光景であった。

早朝の宍道湖にはシジミ漁の舟が浮かぶ
シジミ漁の網から砂をはらう「シャカシャカシャカ」という音が聞こえる

26日のコンサート当日、昨日の天気とうって変り、予報は曇り時々雨、そして、下り坂。

早朝、準備のためホテルから歩いて宍道湖大橋を渡り島根県立美術館に向う。雨交じりの寒い朝。宍道湖にはシジミ漁の舟が出ている。シャカシャカという音が遠くから聞こえる。近づくと、大きな網ですくったシジミをふるいにかける音だった。舟の上に立ち上がったシジミ漁の人が、長い柄のついた大きく網を揺すりながら砂を落としていく。きっと大変な作業なんだろうが、風情のある宍道湖の音風景だ。

この日の宍道湖は、まさに“八雲立つ”出雲を実体験させていただけるものであった。

朝から雲が立ち込め小雨が降り野外での実施は無理かなと半ばあきらめかけていた。東京から現地入りしてきた演奏家の皆さんが昼前に到着すると、空は一転、雲一つない晴天に。今までの天気が嘘のように晴れ上がった。

あまりの変わりように何か騙されているような感覚に・・・。ストップしていた野外舞台の音響照明のセッティングを再開する。

その2時間後、出雲大社の方から雲がじわじわと湧き始め、空は知らぬ間に雲で覆い尽くされた。地元の気象台への問い合せでは、3時過ぎに雨、夕方にかけ下り坂。美術館の方と相談し、この様子では野外は無理ということで、屋内開催を決定し、美術館のロビーへと移った。

外は激しい風に横殴りの雨、宍道湖には白波。ただ、激しい風は吹きつづけていたが、夕方、雲の間から美しい夕日が一瞬広がった。

この2日間、宍道湖は出雲らしい変化の激しい姿を見せてくれた。古代出雲神話の時代、我々の祖先はどのように自然と接していたのだろうか。

人は自然を征服することは到底できない。屋内で無事実施できたことにただただ感謝したい。

幻となった舞台の背景には宍道湖、出雲大社、夕陽が一直線に並ぶ
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2002/10/25:水の大地に暮らす

松江・宍道湖での「水の音原風景」プロジェクトの実施のため、羽田から出雲に向う。わずか1時間20分のフライトだが、快晴の中、飛行機の窓から久々にゆっくりと地上の姿を眺めた。

多摩川を眺め、横浜港上空を抜け、山間部上空を進む。ぼーっと眺めていると、多くの人家や建物は川の両側の狭い土地にへばりついていることに改めて気づく。

もともとはこの平らな土地も山の急峻な斜面だったのだろうか。山から流れ出た水が川となり、長い長い年月を経て大地を削り谷となり、また、川が運んだ土砂がたまって平地となり、そこに人々が暮らすようになったことが改めて想像できた。

私たちの住む土地は水によって生み出されてきたと言える。自分の住んでいる土地が水とどのようなつながりにあったのか、今あるのかを考えてみるのも面白いかも知れない。地表を流れる川、地下を流れる地下水脈、そして、雨などの降水。

地球が誕生したのは46億年前と言われる。

熱いマグマのかたまりであった原始地球は濃密な水蒸気大気に包まれていた。気の遠くなるような時を経て徐々に徐々に冷え、やがてその水蒸気大気が雨となって激しく降り注いだ。その水蒸気の水の総量は、現在の海の総量とほぼ同じだという。

水は海を作り、大陸を形成した。

水によってつくられたこの大地を改めて感じてみたい。

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2002/10/08:雨上がり、風がやむ

7日の明け方、浅い眠りの中、激しい雨音と風の音。

寝汗でびっしょりとなりながら目覚める。天気予報は、回復方向。午後1時の最終決定には、野外実施を押し通すことを決意し、布団を出た。

10月7日の明治神宮奉納コンサート「森の音、水の響き」の一週間前から毎日天気のことばかり考えてきた。

外へ出れば空を見上げる。新聞は天気欄。その情報は7日だけが、時々雨の予報。毎日、晴れることを信じようと自分に言いきかせるが、「雨かも」という重い気持ちが心の中にぶらさがっていた。

1997年のウォーターフロントコンサートは雨だった。その時、コシノジュンコデザインオフィスの鈴木専務から言われた言葉。「雨を降られるような気合じゃだめだよ」という言葉を再度自分に言い聞かせる。

3日前からはインターネットで天気情報をチェック。7日の午後から夜の降水確率は60%〜70%。低気圧の通過で荒れた天気も予想され始める。その予測が少し前倒しになってきたのは2日前。6日の夜から7日にかけて雨。そして前日の予報は、7日の午前中が雨60%、午後20%、夜10%となった。

当日、朝6時に車で明治神宮へ向う。外はなお激しい雨と風で、すごいスピードで雲が流れていく。ただ、遠くの空には青空も。J-WAVEの予報は、昼前に雨は上がり、午後は曇り。

携帯の電話が何度か鳴る。今日の実施は野外でしょうか、屋内でしょうか、というお問い合わせ。ご来場の方々も晴れて野外で実施できることを強く願っていた。

午前10時過ぎに雨が上がり、音響照明の設置が始まる。雨がやんでも明治神宮の森からは数え切れない雨粒が落ち続けている。激しい風に木々の葉が揺れザーという音を立てる。

午後1時過ぎ。演奏家が到着し、舞台のチェックが始まるが、激しい風に譜面台が倒れる。夕方には風がやむことを信じて準備を進める。

午後5時15分。演奏家とともに、正式参拝。本殿の中に入っていくと、そこは更に静寂で神聖なる場であった。

日が暮れ、たっぷりと雨の恵を受けた森からは虫の音が聞こえてくる。

午後7時、神職様の御祓いで奉納コンサートはスタート。

16万本の木々に囲まれたそのひとときは、まさに一期一会の世界であり、無事に野外で実施できたことは感謝の一言に尽きる。

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2002/09/20:あまたの雲が湧き立つところ

10月26日(土)に水の都・松江で「水の音原風景」コンサートを実施する。宍道湖の夕日を舞台背景にした野外コンサートで、その打ち合わせで松江を訪れた。

会場は島根県立美術館に隣接した湖畔の公園で、宍道湖に沈む夕日を見るのに絶好の場所だ。これまでの「水の音原風景」コンサートでは日没後の実施がほとんどだったが、以前から日が暮れていく風景を見ながら実施できないかと考えていた。「黄昏(たそがれ)」は一日の中で最も美しい時の流れを見ることができる時間だ。

「誰そ彼れ」。人が見分けにくくなっていく時間帯は汚れた俗世をゆっくりと闇に溶かし込んでいく。暮色に染まっていく風景は、人の力ではつくることのできない繊細な彩りを描く。普段の生活の中で暮れゆく空をずっと眺めていることはなかなかできないが、今回のコンサートでは、その移りゆく風景をじっくりと眺めてもらうことができるだろう。共同主催の島根県立美術館は宍道湖の自然と一体となった美術館で、閉館時間が日没の時間とともに変わっていくという素晴らしいコンセプトを持った美術館だ。来館者は宍道湖に向って大きく開かれたロビーから美しい夕日を心ゆくまで眺めることができる。

雲の間から宍道湖に光が射し込む

松江・宍道湖の代表的な風景は雲の間から太陽の光が射しこんでいる風景だそうだ。「あまたの雲が湧き立つところ」を意味する出雲の風景だ。

神話の国・出雲。10月を神無月(かんなづき)と言うのは、旧暦10月に諸国の神々が出雲に集まるからだと言う。ここ出雲では神在月(かみありづき)と呼ぶそうだ。

雲が湧き立ち、やがて恵の雨が降り注ぐ・・・。

10月26日は自然の大きな力に身をゆだねたい。

≫島根県立美術館のホームページへ
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2002/09/11:自由主義市場経済の崩壊!?

米国の同時多発テロから早くも1年がたった。あの日、ブエノスアイレスのショッピングセンターのTVに映し出され異様な光景。ニューヨークの高層ビル群が煙に包まれた姿が昨日のように思い起こされる〔当時、南米ツァー中〕

私達の生きている今の社会は何かおかしいとほとんどの人が感じているだろう。今年の夏も異常な夏だった。次々に発生する悲惨な事件の数々。「水と安全はタダ」と言われていた日本の社会も、既に過去のものとなってしまった。日本人ってこんな人達だった?ということを毎日のニュースを見て強く感じる。

戦後の高度成長で豊かさを手にした日本が失ったものは?そして、今、消費の低迷や経済不況に喘ぐ日本経済の行方は?

さまざまな対策・政策が取られているが、今の社会から豊かな未来を描くことは難しい。極論になるが、20世紀末の社会主義経済の崩壊とともに自由主義市場経済も崩壊した!?のではないだろうか。崩壊したというか、このシステムが地球に合わなくなっているということがはっきりしてきたのではないだろうか。私達の捉えている世界はあまりに人間中心である。人類の経済的な拡大が豊かさをもたらすということは、限りある地球資源を使っている以上、その繁栄が一時的にすぎないことを意味している。

一つの生命体として見た地球に合わなければそのシステムは衰退していく。消費の低迷は、地球環境を救っていると見ることができる。地球とそこに生きる全ての生物のことを考えた新しい経済理論・地球主義経済とでも言うものが、今必要ではないだろうか。スローでスモールな社会と生き方。我々の心もゆったりといきたいものだ。

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2002/09/07:明治神宮の森への思い

誰の人生にもいろいろ辛い時期があるが、30歳前後の時期はかなり辛い日々だった。セイコーを辞め、商業施設のコンサルティング会社に入った頃、忙しさと仕事のプレッシャーから心身ともに厳しい状況にあった。

その頃、朝早く起きて代々木上原のアパートから代々木公園、そして、明治神宮の森を散歩するようになった。早朝の明治神宮は、朝もやがかかり、その中に朝日が差し込んでくる。東京でこれ程新鮮で美味しい空気を吸うことはできないであろう。木々のさまざまな匂い。厳かで、美しい朝だ。

八百万の神を信じ、信仰心が強い訳ではないが、辛い時には神頼みもしてしまう。そんな弱い人間をこの森はやさしく包み込んでくれた。そして、水や自然への関心が高まったのもこの頃だった。

あれから10年。新たな御縁をいただきこの森の中で奉納コンサートを開催させていただくこととなった。80年前に人々の思いにより造られた明治神宮の森。コンクリートのかたまりとなった東京のど真ん中で、都会の熱を冷まし、汚れた空気を奇麗にしてくれている。そして、私達の心も安らかにしてくれる。

この森は100年先、150年先、そして、200年先を考え造られた。私達は、人間の短い命のサイクルでものごとを考え過ぎているのかも知れない。この森は私達に多くの気づきを与えてくれる。

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2002/08/25:マイム マイム

明治神宮コンサートのお申込みを多くの方々いただき、その中に様々な「水の声」をいただいている。その多くが昔の思い出や子供時代の水に関るお話しで、この短い間に水の環境が日本でも大きく変化してきたことを実感させられる。

さて、話は突然変わるが、子供の頃の楽しい思い出の一つに、小学校の時のフォークダンスがある。この思い出は皆さんにも共通するのではないだろうか。「オクラホマ・ミクサー」・・・好きな女の子まで曲が続くことを祈った。男女の数が合わなくて、女性役になってつまらない思いをした、などなど。

先日、イスラエル大使館の方と話をした時に、フォークダンスの「マイム マイム」が水に深いつながりのあることを知った。「マイム」はヘブライ語で「水」を意味するのだそうだ。砂漠地帯の端に位置するイスラエルはいつも水不足に悩まされているからこそ、その大切さ、水を得ることの喜びを実感し、表現されているのだろう。私達は、「マイム マイム」と子供の頃からヘブライ語で水の喜びを踊っていたのだ。

世界では水の汚染が進むとともに、砂漠化と洪水といった水のバランスが急激に崩れている。世界の人々が手をつないで水資源を大切にし、平等に、そして、持続的にその恩恵を受けられなければならない。

明日から南アフリカのヨハネスブルクで開催される持続可能な開発に関する世界首脳会議(環境開発サミット)では、水の問題も大きな議題の一つだ。世界の水は、日本の水にも大きくかかわり、そして、私達の体の中の水にも直結している。

「マイム マイム」 (イスラエル、イマヌエル・アミラン作曲)

(主な歌詞)

ウシュアヴテム     マイム  ベサソン あなたがたはくむだろう 水を   喜びをもって ミマアイェネイ  ハイェシュア 泉から      救いの

(旧約聖書・イザヤ書12・3 あなたがたは喜びを持って、救いの井戸から水をくむ。)

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2002/07/20:水の心を奏でる二胡演奏家

「私の二胡の音色は水の心を表しています。それは母親の胎内の羊水、その水の音であり、生まれてくる時の喜び、感動、驚きなどいろんな気持ちが込められています。」

先日、新宿の中華料理屋で、初めてお会いした二胡奏者・程農化(ていのうか)さんから突然こんな言葉が飛び出した。もちろん、私がウォーターネットワークで水をテーマとした音楽的な試みを行なっているなどと知らずにである。

この日、お囃子の望月太佐衛さんから、今度演奏会でご一緒する二胡の演奏家の方と会うので、よかったら一緒に行きませんかというお誘いをいただき新宿の稽古場に出かけ、その後の出来事だった。

「感動のある音色はどこにあるのか?その原点は無の世界にあり、それは生命の誕生の世界と同じだ。父と母の一番大切なものをいただいて、無から形が生まれてくる。そして、誰からも教えられることなく、羊水という水の中で栄養を吸収する。水の力を借りて誕生するのだ。二胡の音色は、魂のある場所に響き、心の奥深く伝える。純粋なその音色は、水と同じで飾りのないものだ。」

程さんはそう話してくれた。

程さんは最近注目されている二胡奏者チェンミンさんにも教えている演奏家で、グループ風雅の代表でもある。

お囃子の望月太佐衛さんの鼓演奏家の今年のテーマも「水にならう」だそうだ。程さんも出演するこの演奏会は、10月16日(水)午後7時から紀尾井小ホールで開催される。新しい水の音楽が奏でられることだろう。

≫程農化さんプロフィール
≫望月太佐衛さんプロフィール
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2002/07/15:上流で起きていること

長瀞カヌースクール代表の田野真弓さんは川とともに生きる人だ。荒川上流の景勝地・長瀞の川沿いに手作りのログハウスを建て、カヌーやラフティングなどのスクールや川のガイドとしてほぼ一年中、川で過ごしている。

田野さんと久々に話をすると、川がここ数年変化していると言う。川の水で手が荒れるようになった、台風や大雨の時に今までの常識では考えられない急激な増水になる、など。長瀞カヌースクールの手作りログハウスも、過去の大雨で絶対に水の上がらなかった場所に建てられているが、先日の台風6号の大雨でログハウスの基礎部分まで川の水が押し寄せたそうだ。

荒川の上流には新ししく2つのダムが建設され、更にもう一つの大きなダムが建設され始めている。洪水調整、水資源確保など多目的なダムであるが、大雨の時には、自らの構造物を守るために、大量の水が放水される。急激な増水による水の事故も増えている。

水にとって大切なことは、そのつながりにある。水はとうとうと流れるべきであって、貯めておくものではない。コンクリートの箱に水を溜めるのではなく、森を大切にし、木々や大地に水を溜めることの方が大事だということは世界の常識になっている。

私たちの体の中を流れる川、血液。その資源確保のために、体のどこかに貯めておくことができるだろうか。血液は止まることなく、とうとうと流れ続けなければ、命を維持することはできない。

今年は台風の当たり年と言われ、雨や水の脅威を目の当たりにすることが多いが、21世紀は世界的な水のバランスの崩れという危機が迫っている。砂漠化と洪水という極端な水のバランスの崩れは、水の惑星・地球環境の最大の危機となりかねない。その原因を作り出しているのが、我々人類そのものだ。我々の豊かな生活は、木を切り、化石燃料を使い、水を汚す、即ち、限りある資源の消費によって成り立っている。

今日、長野県知事が失職を選択した。長野県の政界はよくわからないが、“脱ダム宣言”は正しい。水のつながりを断たないということは、自然に沿ったことであり、命のつながりを断たないことに結びついている。

水の恋しい季節、身近な水のつながりを見つめ直してみよう。

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