コラムについてご意見やご感想がございましたら、是非、柴崎宛にメールをお送りください。
「イヤー・ゲームの会」代表の長谷川有機子さんにお会いした。ウォーターネットワークのサイトをご覧いただいてメールをいただいたのがきっかけだったが、この日、京都から東京に出張に来られるということで初めてお話をさせていただいた。
お会いする前に、ずっと記憶に残っていた10年くらい前の新聞記事のことを思い起こしていた。
その記事は「水の音原風景」プロジェクトのヒントともなったものだったと思う。関西の方で「音」や「聴く」ということをテーマに体験教育を行っているという記事で、切り抜いたのを覚えている。この日、お会いしてお話をしていくうちに、その記事の方だったんだと実感した。
長谷川有機子さんは京都にお住まいの音楽家で、1994年から音からの教育「イヤー・ゲーム」(※注1)を提唱し、様々な活動を行ってきた方だ。自然や街の中での様々な“音探し”に始まり、紙や布を使って「音の風景」を再現したり、作曲したり、耳や五感を磨くための様々な活動を行っていて、新たな感性教育や指導者養成も行っているそうだ。長谷川さんはこの「イヤー・ゲーム」の実施や指導の他、古代中国の宮廷音楽用の楽器「編鐘(へんしょう)」(※注2)による音楽づくりやコンサート等も開催されている。第3回世界水フォーラムの大阪国際会議場では「音でつづる水の旅〜川をくだりて〜」をテーマに編鐘による演奏会もされたそうだ。
一つの新聞記事のご縁がこの日つながったとても嬉しい日となった。今後、様々な連携をさせていただければと思う。
ソウルプロジェクトの計画のためソウルを訪れた。
韓国の首都ソウルは「漢江(ハンガン)」によって育まれてきた。漢江は朝鮮半島のほぼ中央を横断する大河で、全長約482km、流域面積は約3万4,470 km²。日本の最も長い信濃川が367km、流域面積最の利根川が1万6,840 km²で、韓国の面積が約9万9,000km²で日本の総面積のほぼ4分の1ということを考えても、その大河ぶりが伺える。
漢江は朝鮮半島を二分するとともに、ソウルも二分している。漢江の北側は王宮を中心に古くから発展してきたエリアで、明洞(ミョンドン)、鍾路(チョンノ)、東大門(トンデムン)など賑やかな観光の中心地でもある。南側の江南(カンナム)エリアは、1970年代から1988年のソウルオリンピックごろまで韓国経済の中心地となり、韓国の経済成長は「漢江の奇跡」と言われた。
このソウル市の中心部で、現在、失われた水の道再生の世界でも注目されている大規模プロジェクトが進行中だ。
「清渓川(チョンゲチョン)復元事業」。清渓川は、ソウルの西北の仁王山と北岳の南麓、南山の北麓などから始まり、都城の中の真ん中あたりで合流し、西から東方面に流れる延長10.92kmの都市河川でソウルの中心部を流れていた。
この川は下水道としても使われてきたため、長い間、氾濫や衛生上の問題を抱えてきたが、最終的には1950年代から1970年代にかけて川にコンクリートの蓋がかけられ、「清渓川路」という道路に生まれ変わった。その後、この道路には更に高架道路がかけられソウル都心の交通の中心となってきた。
ソウル市は21世紀の文化環境都市を目指し、その象徴的なプロジェクトとして、この清渓川(チョンゲチョン)復元事業を開始した。既に高架が外され、工事が急ピッチで進んでおり、2006年末にはその復元が完成するそうだ。
清渓川路は、東京で言うと渋谷近くの明治通り、銀座近くの昭和通りを足して2で割ったような繁華街・ビジネス街に近い幹線道路だ。その道が清渓川を中心とする親水空間に変貌する。その姿は、京都の鴨川のような感じになるのだろうか・・・。
韓国の首都ソウルのど真ん中で進行中の「水の道」再生プロジェクト。ソウル市は、グルメ、ショッピング、エンターテイメントなどで東京よりぜんぜん面白い。歴史も伝統芸能も大切にしている。物価も安く再び訪れたいと思わせる街と感じた。
この首都に「水の道」が再生されるということは、素晴らしい時代感覚と都市間競争の戦略性を持っていると思う。巨大になりすぎた東京はますます巨大になろうとしているが、21世紀の都市間競争で果たして生き残れるのだろうか。
歴史と自然、そして、水の見える街に住み、働き、訪れたいものだ。
千川通り。練馬区上石神井一丁目から豊島区南長崎六丁目に至る全長8.8kmの都道は、かつて水の道であった。今でもこの道路の下は暗渠として水が流れている。
この水の道は、江戸時代、将軍の立寄先である小石川御殿、湯島聖堂、東叡山、浅草寺御殿などに給水することを主な目的として作られた千川上水で、元禄9年(1696年)玉川上水から分水された水道だ。武蔵野市境橋付近の分水口から巣鴨まで、約30kmの素堀で川村瑞軒の設計による。本郷、下谷、浅草方面の飲料水や農業用水としても許され、千川上水沿いには10基以上の水車があって粉をひいていたそうだ。
明治40年、東京市営水道の普及により飲料水の供給を停止し、さらに昭和46年、最後まで上水を使っていた大蔵省印刷局王子工場が取水をやめ、その使命を終えた。
江戸、そして、東京、いや、全ての街は水の道によって支えられている。しかし、その水の道の姿はどんどん見えなくなってきている。
自分が毎日使っている水がどこから来て、どこへ流れてゆくのか。そんなことさえわからない社会はおかしくないだろうか。
東京都の清流復活事業により野火止用水、玉川上水に続き、平成元年には千川上水にも清流が甦った。武蔵野市の境橋付近から練馬区上石神井の青梅街道に至るまでの約5キロにわたり、のどかな水の道が復活した。
決して、きれいな水とは言えないが、水の道の大切さを私たちに教えてくれる。千川通りに入り、その水は道路の下を流れ姿を消してしまうが、現在でもなお消火用水や六義園の池水などに使われているという。
是非、あなたの街の水の面影を探してみて下さい。今まで気づかなかった街の姿を発見できるかも知れません。
今月、ウォーターネットワークは東京都練馬区に事務所を移転し、新たなスタートをいたしました。
水に対する思いの原点を振り返り、意義のある活動をしてまいりますので、どうぞよろしくお願い致します。
雅楽「響きの宇宙」を実施するため、笙の石川高さんと篳篥の本橋文さんと岡山県奈義町を訪れた。
会場となる奈義町現代美術館は、アートと建築、そして、那義山と地域の自然が一体となった美術館で、「月の展示室」は仲秋の名月22時に、月の光が展示室に射し込むように設計されている。
この日、岡山駅からレンタカーで約1時間半、奈義町に近づくと、黒っぽい独特の瓦屋根の家並が続く。後から聞くと、入母屋造の屋根で、ここでは、特に「下げ」のところに瓦を縦にふいていることが多いので、特別重厚に見えるのではとのことだった。
会場に入る前に、石川さんから地域のことを知り地元の神社にお参りしましょうということで、奈義神社(現在は、許神社と書く)と奈伎山中腹にある菩提寺に向かった。この日、那義山は雲に包まれ幽玄な姿を見せてくれていた。許神社を発見できずに細い山道を抜けるていくと、突然、那義山のなだらかな斜面に向って棚田が広がっていた。
石川さんも本橋さんもその美しい景色に声をあげる。日本各地にこのような美しい風景があるのだろう。名もない日本の美しい風景に出会えた喜びは大きかった。菩提寺で推定樹齢900年の伝説の大イチョウも拝見し、帰り道、無事に許神社にもお参りすることができた。
この夜、石川さんと本橋さんの即興曲「Nagi」も演奏された。
後日、石川さんから次のようなメールをいただいた。
この日、どんなに念じても台風がそれることはなかった。台風がまっすぐ岩手に向ってきているので、北上川河川敷に設置した野外舞台は前日のうちに堤防側に移動していたため慌てることはなかったが・・・。
朝から屋内会場となる紫波町サンビレッジでの準備が始まった。この施設は、紫波中央駅近くにある巨大な体育館で、照明の橋本氏がこの会場を下見した時に、「ここでやりたい!」と言った程の素晴らしい施設だ。
昼前には演奏家が会場入りし、リハーサルも順調に進んだ。
外の雨は勢いを増し、夕方の開演時間にはその勢いはピークに達した。体育館の屋根や壁に時々ものすごい勢いの雨と風が吹き付けている。この時間に台風が通過していったらしい。
台風直撃にもかかわらず、大勢の方々に来場いただいた。
基調講演をいただいた中野英明さんの「水清ければ月宿る」。その素晴らしいお話。運営に携わっていただいた紫波町職員の皆さん。このプロジェクトを推進していただいた紫波町環境課の皆さん。このプロジェクトに多大なご理解と御協力をいただいた、紫波町の藤原町長様と川村教育長様。
紫波町の素晴らしい方々のお力で台風直撃の中、このプロジェクトは無事終了した。
「すばらしい音のいざないによって、すがすがしい森の中に足を踏み入れ清らかな川の流れに手をさしのべ、心いやされる一時でした。もっと多くの人にこの感動を味わってもらいたかったです。また、是非このような演奏会があることを願います。」
〔※「水の音原風景」北上川コンサート・アンケートから〕
一期一会のこのプロジェクト。北上川を背景に再度実施することを心に誓った。
中尊寺金色堂で有名な平泉は奥州藤原文化。この文化もまた北上川の恩恵を受けているそうだ。紫波町周辺の北上川で取れた砂金がかの金色堂も使われたのではないかという話も聞いたことがある。
北上川はかつて重要な交通路として舟運が栄えていた。河口の石巻から盛岡まで約190キロ、帆を張った舟が行き来ししていたということは驚きそのものだ。川を下る舟には江戸へ向けたお米や大豆などの雑穀類、鉱産物、生糸などが載せられ、上ってくる舟には古着や反物、木綿、陶器、書籍などを含む日用雑貨品が多かったそうだ。
この日、平泉から紫波町まで車で約3時間。途中、宮沢賢治の故郷である花巻市のイギリス海岸に立ち寄った。ここは、北上川と猿ヶ石川が合流する場所で、水が引くと白い泥岩が露出する。その景色がイギリスのドーバー海峡と似ていることから賢治はイギリス海岸と名付けたそうだ。
賢治はこの場所を好み、夏の夜空に流れる天の川と地上を流れる北上川の間を小さくてたよりない軽便鉄道が鉄橋を渡っていく光景から、「銀河鉄道の夜」が生まれたそうだ。
紫波町に入り、9日の準備に入る。季節外れの台風の接近が気になるところだ。台風が大きくそれてくれることを天に祈った。
北上川の源泉は、岩手県岩手町の御堂観音境内にある「弓弭(ゆはず)の泉」とされている。この泉は、天喜5年、「前九年の役」で源頼義、義家親子が安倍頼時と戦うために進軍した際、義家が弓弭(弓の端の弦をかける所)を持って岩にさしたところ、清水が湧き出て炎天下に苦しむ兵馬を救ったと伝えられている。
「水の音原風景」北上プロジェクトの情報を求めて、7月にこの源泉を訪れた。杉の大木の根元からポコッポコッと小さな音を立てて森のしずくが一滴づつ落ちていた。
8月6日早朝、このプロジェクトの実施準備のため車で北上川に向った。北の大河の全貌をとても今回のプロジェクトで知り尽くすことはできないが、少しでも北上川のことを実感を持って知りたいと思い、北上川の河口から車で上流の紫波町を目指すことに決めた。
北の大河・北上川は全長249km、東北地方では一番長い川で国内でも5番目に長い川だ。北上川の河口は旧北上川と北上川に分流し、旧北上川が宮城県石巻市の石巻湾、北上川は北上町の追波湾(おっぱわん)に注いでいる。東北自動車道を仙台で降り、日本三景の一つ松島を抜け、石巻湾に昼頃到着した。木材が積まれた工場群を抜け、河口をまたぐ橋の近くに車を停めた。車を出るといやな臭いが鼻を突く。おそらくは周りの工場からの臭いなのだろうが、川の長い旅の終りの現実がここにもあった。
気を取り直して北上川の上流を目指す。川をどのように辿るか全く計画を立てていなかったが、川沿いを走る道路があり、なだらかな川を横目に眺めながら車を走らせる。時間がなかったので北上町の追波湾を見ることはあきらめていたが、途中の新旧北上川の分流辺りで道を間違えたのか、川の上流を目指して走っていたつもりが、なんと海水浴場に出てしまった。偶然にも美しい追波湾の姿も見ることができた。
この日、北上川の下流部から中流部まで約100kmを遡った。川の姿はなだらかでやさしい景色がずっと続いていたが、洪水の多発地帯でもあったそうだ。明治末から昭和初期にかけて、洪水対策として放水路である新北上川が整備された。水を治めることは国を治めることと言われる。水を治めてきた歴史にももっと目を向けていきたいと思った。
たまたま訪れた小さな公園には竹林が広がっていて、そこには不思議なアートオブジェのようなものがあった。よく見るとそれは、竹林の音を聴くための装置だった。大きな耳のようなものが竹林の上の方に届いており、管でつながった下の小さな耳から竹林や風の音を聴くことができる。
この公園には音を聞く装置が幾つも設置されていた。何とも情緒のある公園だと思った。
後日、この公園のことを杉並区役所に伺うと、この公園は防災とまちづくり意識の啓発などを目的に区内を歩いて知る「知る区ロード事業」(杉並区役所都市整備部まちづくり推進課)の一環としてつくられたもので、五感をテーマに4つのオアシス(休憩所)があるそうだ。
是非、皆さんも杉並のオアシスを訪ねてみて下さい。
8月9日に実施する「水の音原風景」北上プロジェクトを共催いただく岩手県紫波町は、循環型町づくりの先進的な町で森林資源循環の一環として今年3月に町内産の木材だけを使った小学校を完成させた。
児童123人の紫波町立上平沢小学校。
この木造校舎に一歩足を踏み入れると、素晴らしい木の香りに包まれる。南部アカマツ、カラマツ、スギ、クリなどのムク材による木造平屋建ての校舎で集積材は一切使われていない。教室は樹齢120年以上の南部アカマツの太いはりと柿渋を塗ったスギの丸柱が存在感を示す。
円形の音楽室、北上川をイメージした中庭。地元の森が、地元の製材業者、大工さんたちの手によって学校に生まれ変わった。
校舎を歩くと子供たちが大きな声で挨拶してくれた。地元の自然によって育まれた森に囲まれて、子供たちはどこまでも元気そうだ。
この学校には現在全国から視察の人たちが訪れている。昔だったら当たり前の地域での資源循環。食、生活、産業、様々な場面で地域循環ということを見直していくことが必要と考えている人は多いと思うが、この校舎に一歩足を踏み入れればそのことを五感で実感できる。
自分もこんな学校で過ごしたかったと強く感じた。
この木造校舎に、やはり森の素材でできた和楽器の音色が響いたらどんなにか素晴らしいのではないかと思った。
北上川コンサートの翌日、演奏家の方々にこの校舎を訪問し、子供たちと交流していただくことになった。この校舎の思い出が一つ増えることになれば嬉しい。
山種美術館で「水の音」をテーマにした絵画展が始まり、初日に早速行ってみた。
歌川広重の「阿波鳴門之風景」(1857)、江戸名所百景「大はしあたけの夕立」(1857)、横山大観「楚水の巻」(1910)、川合玉堂「鵜飼」(1895)、奥村土牛「鳴門」(1959)、奥田元宋「三澗雨趣」(1975)、加山又造「波濤」(1979)、千住博「ザ・フォールズ」(1995)などなど、浮世絵から近・現代の日本画、三十数点。
水の姿を描いたそれぞれの絵画から、様々な水の音が聴こえてくる。改めて日本の自然が豊かな水に育まれてきたことを実感した。
会場に流されていたせせらぎの音は絵画から聴こえてくる水の音を邪魔してしまうのでやめてほしかったが、是非、水の音を聴きにお出かけ下さい。